2018年10月10日

私の負い目、母への謝罪

私は宮城県石巻市出身で高校を卒業する18歳までおりました。

山奥の一軒家。
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実家は農家と言いながら兼業で無いと生活出来ないレベル。
そこの長男(家督)で男児1人。


私が中学卒業するまで祖父祖母、両親と姉妹がおり7人の大家族でしたが、17歳の時祖父が、27歳の時に祖母が他界。
私は勿論、姉も妹も高校卒業後、就職で実家から出ており、それから父と母が2人で暮らしておりました。
43歳の時(TJAR2016選考会翌日)に父もガンで他界。

それから2年経ちますが、母親1人で今も山奥の実家で生活してます。



両親からして見たら、子供の頃から素行不良の私と言えど長男なので期待は大きく、勉強出来なくても実家で細々と農家をやり、適当な町工場で最低限の所得を取り、近隣でお嫁を見つけ実家で孫と一緒に平凡に暮らす。
そんな当たり前を望んでいたと思います。


ただ私はどこでネジが外れたのか、ひたすら夢や上を望む性格になり、実家の事はお構いなし。
「 日本チャンピオンになれなかったら、実家を継ぐ 」と言う約束を反故にし、田舎暮らしを嫌う今の嫁と結婚し、故郷や両親を忘れようとしました。



2015年4月に今の会社で仙台営業所の所長となり、22年ぶりに東北での生活に戻ります。
住まいは実家から車で1時間離れた仙台でしたが、両親共にこの時は喜んでくれました。

出来の悪い息子で、現実を直視せず夢ばかり追って自分勝手。
それが名の知れた企業で所長となって帰って来た。
この事に両親は「 子供3人共に大学に行かせられなかったが、誰に迷惑かけるでも無くそこそこ頑張っている 」と喜んでいたとの事。

その1年後に父親が亡くなったのですが、最後は3日に一度会いに行け死際にも立ち会えた。
私に対してはきっと安心していたと思います。



ですが、冒頭で書いたように今では母親1人。
まだ車の運転が出来て自分で用足しが出来ますが、まもなく75歳なので後1、2年が限界でしょう。
そしてその後、5年後を考えると母親ももう居ないかも知れない。
その時に私は後悔するだろう。
そして残った家や土地、お墓は。

考えると憂いしかありませんが、これは今の日本の農村部で起きている現象で同じ様な悩みの方も多いと感じます。


私は今のままでは現実的に仕事や生活の観点から石巻に戻れないでしょう。
母親はデイサービスや老人ホームと言う流れになるのか、それとも私が家族を説得し同居するのか。


「 時代の流れだから仕方ない。こっちに帰って来るよりも、会社で必要とされてるならそんな有難い話は無いから、実家も私も気にかけず精一杯いまを頑張りなさい 」
「 息子がドキュメンタリー番組に取り上げられるなんてほんの一握りの話。それだけで親孝行して貰ってる 」
その言葉に甘えているのか、そしていざその時が来たら後悔するのか。
答えは明確...。

2年後を区切りとして、人生の再計画をしようと考えてます。
posted by 男澤ヒロキ at 18:19| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
美原ランナーズさん
ずっと素行不良で迷惑ばかりかけてしまったので...
でもみんな同じような悩みありますよね。
特に田舎だと。


お母さんと一緒に居てあげたかったという思いが伝わって来ました。
Posted by 美原ランナーズ at 2018年10月19日 20:05


>美原ランナーズさん
>
>美原ランナーズさん
>ずっと素行不良で迷惑ばかりかけてしまったので...
>でもみんな同じような悩みありますよね。
>特に田舎だと。
>
>
>お母さんと一緒に居てあげたかったという思いが伝わって来ました。
Posted by 男澤ヒロキ at 2018年10月20日 08:07
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